最終日、やっと晴れました!
風は強いですが、太陽が出るとテンションあがります(^^
7時にホテル出発で北部に観光。私は片付けないといけない仕事があり、ホテルでリモートワーク・・・
皆さんには悪いですが、ゆっくりと朝食をとり、午前中仕事をさせて頂きました。
そしてチェックアウトして、エアポートリムジンで移動しようかとバスのチケットを購入しようとしていた時、「ホテルに迎えに行くって」と連絡が。
それは申し訳ないのでお断りしようとしましたが、「いまから荷物を空港まで持って行くから」と。
これまた感謝ですm(__)m
さて、子供たちを乗せたバスは、ちゅら海水族館→古宇利島→ウミカジテラスの予定が、時間は限られていて、ウミカジテラスは断念。
私を乗せた車は、ウミカジテラスで子供たちのバスを待とうと移動しており、おしゃれなカフェが立ち並ぶ真っ白な街を親父2人で散策(^-^;
子供たちが来れない情報を受け、空港へ。
でっかいぬいぐるみを抱えた子供たちと合流し、お別れの時が・・・ お互いのキャプテン、保護者代表の挨拶後、全員で握手。
この姿に涙する保護者も(T_T)
普天間フェニックスは5年と6年で連続して広島遠征に来るのですが、昨年5年での遠征は、まだコロナの影響もあり、お互いにホテルステイ。
そのため、部員同士の交流も限られ、なんとなくよそよそしいグランドでの姿でした、遠征後に、
「子供たちは遠征で成長すると言っていたが、話が違うのでは?!」
とこのお父さん(私の1歳年上)は意見されたそうです。
しかし、コーチ陣が、
「今回が特殊でホームステイの交流が本来の姿だから」
と諭し、6年になった今年、広島でホームステイをして帰った時、その成長を保護者の方々が実感し、お互いにホームステイをして、寝食ともに過ごす、この交流の本来の姿を理解して頂けたのだと思います。
松川コーチも6年の時に互いにホームステイをし、その友人とは今でも交流があり、初日の公民館では手土産もって来てくれていましたし、長くこの交流に尽力されている方の息子さんも松川コーチの1学年上ですが、懇親会にも顔を出し、次の日は「昼まで飲んでいました」と爽やかな笑顔でグランドに姿を見せて、華麗な足技を子供たちに見せていました。
私が息子の保護者として焼山ジュニアに関わり始めたとき、「沖縄?!ホームステイ?!」と疑いの目をもっていましたが、夏に子供たちを受入れ、交流を経験した後は、今でも「保護者が対応出来なければ受入れます」という思いがあります。
これは、受入れた保護者の方は、全員同じ思いではないでしょうか・・・
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」
焼山ジュニアは競技志向でもなく、強いわけでもなく、次のカテゴリーでサッカーを続ける部員も全員ではありません。
お金を出せば奇麗なホテルで宿泊もできるし、県外参加でそういう参加チームもいますが、お金では決して買えない経験・価値・親子共に成長できる場がそこにはあるのです!
別れ惜しい時間を過ごしていると 、
「16時30分発広島便は、あと2分で保安検査場を締め切ります」
のアナウンスが(@_@)
「やばいっ!」
すぐに空港職員と交渉して、団体扱いで無事通過・・・
その直前まで普天間フェニックスの皆さんが手を振ってくれました(^^♪
最後のゲートを通過したとき、一人の部員が呟きました。
「楽しかった」と・・・
この何気ない一言が全てを表している気がして、何とも言えない感情が沸き上がりました・・・
帰りの飛行機は、エンターテイメントディスプレイが1席づつ付いていたので、みんな思い思いの映像を見ていました。
お笑い番組を見て一人笑うのを我慢していた私と違い、前に座っていた部員は海外サッカーを見ていて、姿勢で負けてしまいました・・・
広島空港は気温4℃、飛行機を降りた途端、ピステやベンチコートを着たりと、現実に戻って来ました(^^;
何はともあれ、怪我無く、病気なく、元気に交流して帰って来れたことに一安心(^^)/
普天間フェニックスの皆さん、引率した保護者の皆さん、送り出してくれた保護者・チームの皆さん、ありがとうございました!
これからも末永く交流をよろしくお願い致しますm(__)m